ブロンズの革を開くと爽やかな世界が待っているブックカバー。『チョコレートボックス』
また素敵なカラーの作品ができたので、ご紹介。
作品名は『チョコレートボックス』
いまのところ、ひとつひとつのが一点ものなので、イメージから作品名をつけることにしました。
ゴールドorブロンズのようなちょっと風変わりな革に、ミントグリーンとホワイトの内装が爽やか。
すべてハギレなので、同じものはたぶんできないだろうな。それゆえのちょっとしたキズやシミがあるけど、それもそれで愛しいし、それも含めてまるっと愛してくれそうな方に使ってもらえたら感無量。
この前つくったブックカバー『パラダイス』と並べると、かなり好きな感じの色合い!
こちらの事情ですぐにはお譲りできないのですが、もし興味ある方いたら、お声がけください。
目の前にある悩みを次のフェーズに進めよう。−次の悩みのビッグウェーブがくる前に−
「同じことをグルグル考えてしまって、悩みから脱出できない」
そんなことはないでしょうか?
人は、大なり小なり、悩みを持ち続けています。
「なんで○○さんのようにアイデアがバンバン出ないんだろう…」
「毎日続けようと思ったブログやランニング、何も続かないのはなぜ…」
「ステップアップのために転職考えてるけど、忙しくてそれどころじゃない…」
「本当は絵を描いて生きていきたい。けどいきなりはお金が不安…」
のように。
次の悩みのビッグウェーブがやってくる前に、今の悩みを捌いていく
悩みって、波のように、次から次へと打ち付けてきませんか?しかも、数カ月に一回や何年かに一回、「おいおい、これ乗り切れないぞ」というようなビッグウェーブがやってくる。
そんな、簡単に脱出できないような悩みのビッグウェーブを抱え続けていると、またいつしか、次のビッグウェーブを迎え入れてしまうことがあります。すると、この脱出できないループを止めることが、一層簡単ではなくなってきます。経験上。それは、大きな悩みほど、複数を同時に解決に導くのが難しいからです。精神的にも、ちょっとしんどいですよね。
なので、できるだけ、”次の悩みのビッグウェーブががくる前”に、目の前にある大きな悩みを捌いちゃいたい。
実は私自身、つい最近それを実感することがありました。自分が心からやりたいと考えていることが果たして実現できるのだろうか?というビッグウェーブが打ち付けていたのです。
先ほど、”次のビッグウェーブがくる前に、目の前にある大きな悩みを捌いていく”と書きました。
これは言い換えると、目の前にある悩みを、次のステップへ進めていく、ということ。つまり、グルグルと同じところを回るループから抜け出せばいい。
頭で考えてるだけでは、抜け出すのがとても難しい。必要なのは結局、行動だということに気づきました。ということを、実例をまじえて書いて行きます。
頭だけで考えているときに起きること
そもそも圧倒的な自信と圧倒的な自己肯定感があれば、悩みのビッグウェーブなんて来ません(実際私も、自信があった無双状態の時には、悩みを悩みとすら思っていませんでした)。現在の選択によって起こりうる未来の結果を信じ切ることができないから、悩み続けるのだと思います。
そんな時、頭で考えているだけの場合は、きっとこうなります。
- 頭に浮かんだポジティブなこと→これを信じられないから、行動できない
- 頭に浮かんだネガティブなこと→考えるだけで自信がなくなるから、行動できない
つまり、何も起きない。
だからこそ、グルグルとループに入り、また悩み続けます。
今回の、私の悩みのビッグウェーブも、はじめはそうでした。自分はこの創作の仕事をカタチにし続けることができるだろうか?→できるはずだ→できなかったら?→どうなるかわからない→不安→進めない?→自分の意思を貫けば進めるはず→ほんとに?…というように。
みてください。このときの私には、何も、起きてないんです(あとで考えると何してんだろう(笑)と思うのですが、その時はいたって真剣なわけですね)。
行動したときに起きること
次に、まずは頭で考えて、先ほどのループに入る”前に”行動した場合。
自分の中でなんらかの反応が起こります。他の人の目に触れる行動の場合は、その行動に触れた人から、なんらかの反応が起こります。
そして、
- ポジティブな反応の場合→自信になり、次の行動につながる
- ネガティブな反応の場合→「次はこうすればいいか」と改善のアイデアに結びつき、次の行動につながる
先ほどとの違い、見比べてみてください。
いずれの反応も、次の行動につながるんです!(当たり前のように思えるけど大事)
つまり、悩みを、次のフェーズに持っていけるということ。
私のこのときの悩みでいうと、
- オンラインコミュニティという安全な場で、自分の価値観の宣言をする
- 革の試作品を使ってくれる方を募集する
- ブログを更新し続ける
こういう行動をしてみました。
もちろん、そこには自分と他の方の反応が起こります。すると、「自分が心からやりたいと考えていることが果たして実現できるのだろうか?」という悩みは、気づけば「価値観に共感してくれる方がいる。では、どうやって伝えていけばいいだろうか?」と、悩みのフェーズが変わったのです。
最後に:悩みを次のフェーズに進めるために、1mmの行動を。
悩みのフェーズが変わると、見える景色も変わります。次の行動も見えてきます。
それが正解かどうかは、正直わかりません。自分にもわからない。だからこそ怖い。けど、同じ悩みで留まり続けることのほうが、もっと怖い。そう思いませんか。
1mmでもいい。悩みを次のフェーズに進めるために、1mmの行動をしてみましょう。
私にとっては、この記事も、1mmの行動です。
一緒に、進みましょう。
本を読むたびに元気になる、ごきげんなブックカバー『パラダイス』
ちょっとごきげんな文庫サイズのブックカバー、できました。
作品名『パラダイス』
水色とカナリアのようなイエローのコンビネーション。
イエローは、B'zの松本さんのキャナリーイエローのレスポールにも似た発色の良さ(わかるかな…)。
↑こんな感じ
読むたびになんだか元気になる素敵なカラー。イエローに水色のステッチが映える。
個人的にもかなり好み!
森博嗣先生のエッセイ集との相性も良い(勝手に)。
ちなみに、この表裏の革はどちらも自分で仕入れてきたもので、いわゆるハギレ。水色の方はシミのようなものが付いているし、イエローの方も傷やシワがあります。けど、もちろん汚いわけではないし、耐久性に問題があるわけでもない。
私の役割は、このような革を作品に昇華して、表舞台に出すことです。そしてその作品が、「普通は使い捨てられる紙のブックカバーの代わりとなる」ことに、意義があるのです。
この辺りは熱い話なので(笑)、また今度、まとめます。
縫うと、いつしか無心になり、思考が展開していく。
ちょっとごきげんなブックカバー完成!と言いたいところだけど、まだコバ磨きが残っているので、写真はまた今度。
そういえば、気づいたことがあります。
縫っているときに、初めは、ちゃんと縫い目が綺麗に揃ってるかな、とか、この革は柔らかいからギュッと縫い締めるのは弱めがいいだろうな、これぐらいかな、とか考えています。
けど、気づくと、何センチも進んでるときがある。一瞬、無心というか。そして、そういうときは決まって、アイデアがどんどん湧いてくる、湧いてくる。今回のブックカバーを縫ってるときもそう。
私の体感として、リズミカルな動きをしているときほど、このような状態になることがよくあります。ランニングもそう。逆に、ただただ瞑想しようとしても、何かやりたい!となってしまって、あまり無心にはなれない笑。
「流れのある湖は透き通っているけど、流れの止まってしまった湖は淀む」という言葉を、聞いたことがあります。
頭だけでウンウンと悩んで立ち止まってばかりいては、思考は発展していかない。動いているからこそ、景色が変わるし、いろんな発見があり、新しいアイデアも浮かぶ。
これからも、悩みあぐね始めたら、とりあえず縫おうと思います笑。
オンラインコミュニティは「柔らかなチームワーク」の一つの形。
いま、とあるオンラインコミュニティに入っています。
他の方が運営するこのようなコミュニティに入るのは初めてなのですが、これがいい。まだ一ヶ月程度だけど、そう思えるし、今後もそう思うだろうと予感がする。
この良さをどう伝えたらいいものか。
という時に、興味深い記事が目に入ってきました。
僕がピックアップしたいのは、ここ。
その病院では、みんな「正しいやり方」にこだわりすぎず、おたがいの癖や弱点を知ってそれらを即興的に補い合う、柔らかなチームワークを築いていたんです。
画一的で規則的で軍隊のような統率ではなく、有機的で柔軟でその時々によって形を変えて行くチームワークのような印象を受けました。
世の中、いろんな会社組織がありますよね。
最近は、働き方改革だ!副業解禁だ!との声がより大きくなっているけど、声の高まりを受けて導入する会社は、これまでの世間的な「正しいやり方」にこだわってきた会社であると思います。
この記事の運営会社であるサイボウズは、世の中の機運の高まりよりもずっと前にそれを導入してきた。自分たちの中から生まれた疑問や必要性から。つまり、「正しいやり方」にすがりつかずに、そこから飛び出した。
世間の正しいやり方にこだわる弊害。それは、自分たちにとって何が正しいのか、何が大切なのか、何が善いのか、何が美しいのかを考える機会を失うことです。その結果、心が繋がっていない組織になってしまうと感じます。
僕のいるオンラインコミュニティは、最低限のルールはあるものの、そもそも多様な価値観が集まってきていてそれを尊重する文化がある。その場では、「正しいやり方」=正解はそもそも存在しない。その人にとっての正解は他の人が決めることができないし、コミュニティにおける「正しいやり方」はある意味みんなで形成して行くものだし、それは毎秒単位で変わっていく。そこに、一生変わらない普遍的な正しさは無いのだと思う。
いろんな価値観の人、いろんな強みや弱みがある人、それぞれの悩み、多様な趣味、時には重なり合い時には離散する想い。
誰かの価値観には、強く共感する人がいる。
誰かの企画には、足りない能力を差し出す人がいる。
誰かの悩みには、すっと手を差し伸べる人がいる。
誰かの趣味には、一緒に楽しめる人がいる。
誰かの想いには、いいね!と背中を押す人がいる。
自分に合ったオンラインコミュニティは、この記事の中にある「柔らかなチームワーク」の一つの形だ。
縫い穴づくりは、自分の道づくり。
ブックカバーの制作を進めています。
革を手縫いするためには、事前に穴を開ける必要があります。この写真にある革の右端が縫い穴を開けた状態。普通は左二つの菱目打ちという道具とトンカチを使いますが、音と振動が気になるので、今は菱錐(菱ぎり)で一目一目開けていきます。
ミシンだと、ダダダっと縫う時にまっすぐするように意識する。
布の手縫いでも、縫う時にまっすぐを意識する。
それが、革の手縫いの場合は、勝手が違うのです。
まっすぐ縫えるかどうか、縫い目が綺麗になるかどうかは、縫い穴を開けた時点で半分以上決まってしまいます。しかも、やり直しがきかない。
僕には、この縫い穴が、道のように見えるときがあります。一目一目、慎重に、自分なりのペースでリズミカルに穴を開けて行くと、そこには道ができます。その道がまっすぐであればあるほど、同じ菱の形が綺麗に並んでいればいるほど、僕は縫う時に、その道を、もっともっと楽に歩ける。
そんな時に、歓びすら感じます。
それが、誰かが事前に開けてくれた縫い穴だとどうか。その道がどれだけまっすぐだとしても、どれだけ舗装されて綺麗な道で歩きやすかったとしても、その道を歩いて行く歓びは少ないかもしれないな、と思います。
自分の道は自分でつくる。
自分で作った道なら、ちょっとぐらい苦労して汗かいたとしても、いいじゃないですか。今まっすぐな道をつくれなくても、いいじゃないですか。
他人がつくった社会の常識という道に答えはなくて。自分でつくった道だからこそ、その先にある景色をもっと楽しめるのだと思います。
そんな無駄に壮大なことと現実を行き来しながら、縫い目をつくってたりします。
赤いMDノートカバー。一目ずつ、ギュッと縫い締める瞬間。
先日、こんな記事を書きました。
最近は、MDノートのカバー制作を進めています。
あまりラブリーな赤ではないので、男性でも持ちやすいカラーです。
中を開くとこんな感じ。スリットを3つ入れているので、カードを入れることも。
僕の場合は、本のために毎日持ち歩く付箋がどうしても邪魔だったので、二つのスリットを利用して挟み込んでいます。いつも付箋を失くしていたので、定位置ができて一つ便利に。
手縫いの、一針一針をギュッと縫い締める瞬間が、好きです。
瞬間といっても、このカバーだけで、300回以上あるのですが 笑。
吉田カバンの吉田吉蔵さんの精神で「一針入魂」というのを聞いたことがあります。
縫い目を少しでも綺麗にできるように、一針一針、気持ちを込めて縫い進めています。
もしミドリMDノートを愛用している方で、カバー制作のご相談があれば、お声がけください。