未完成の練習帖

オンラインコミュニティは「柔らかなチームワーク」の一つの形。


いま、とあるオンラインコミュニティに入っています。

他の方が運営するこのようなコミュニティに入るのは初めてなのですが、これがいい。まだ一ヶ月程度だけど、そう思えるし、今後もそう思うだろうと予感がする。

この良さをどう伝えたらいいものか。

という時に、興味深い記事が目に入ってきました。

 

cybozushiki.cybozu.co.jp

 

僕がピックアップしたいのは、ここ。

 

その病院では、みんな「正しいやり方」にこだわりすぎず、おたがいの癖や弱点を知ってそれらを即興的に補い合う、柔らかなチームワークを築いていたんです。

画一的で規則的で軍隊のような統率ではなく、有機的で柔軟でその時々によって形を変えて行くチームワークのような印象を受けました。

世の中、いろんな会社組織がありますよね。

最近は、働き方改革だ!副業解禁だ!との声がより大きくなっているけど、声の高まりを受けて導入する会社は、これまでの世間的な「正しいやり方」にこだわってきた会社であると思います。

この記事の運営会社であるサイボウズは、世の中の機運の高まりよりもずっと前にそれを導入してきた。自分たちの中から生まれた疑問や必要性から。つまり、「正しいやり方」にすがりつかずに、そこから飛び出した。

世間の正しいやり方にこだわる弊害。それは、自分たちにとって何が正しいのか、何が大切なのか、何が善いのか、何が美しいのかを考える機会を失うことです。その結果、心が繋がっていない組織になってしまうと感じます。

 

僕のいるオンラインコミュニティは、最低限のルールはあるものの、そもそも多様な価値観が集まってきていてそれを尊重する文化がある。その場では、「正しいやり方」=正解はそもそも存在しない。その人にとっての正解は他の人が決めることができないし、コミュニティにおける「正しいやり方」はある意味みんなで形成して行くものだし、それは毎秒単位で変わっていく。そこに、一生変わらない普遍的な正しさは無いのだと思う。

いろんな価値観の人、いろんな強みや弱みがある人、それぞれの悩み、多様な趣味、時には重なり合い時には離散する想い。

誰かの価値観には、強く共感する人がいる。

誰かの企画には、足りない能力を差し出す人がいる。

誰かの悩みには、すっと手を差し伸べる人がいる。

誰かの趣味には、一緒に楽しめる人がいる。

誰かの想いには、いいね!と背中を押す人がいる。

 

自分に合ったオンラインコミュニティは、この記事の中にある「柔らかなチームワーク」の一つの形だ。

 

 

 

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