未完成の練習帖

人が大切にしていること。僕が大切にしていること。

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手縫いは時間がかかる。

ということは頭ではわかっていても、どうも手縫いを好きな気持ちが止められない。

革の制作について本も出している方に、聞いてみたことがある。

「ほとんどの方が、ミシン縫いなんですかね」

と聞くと、

「手縫いはすごく時間がかかるので、ほとんどがミシンですね。手縫いしている方も、見えないところはミシンでということが多いです」

その横にいた、その筋の業界らしき生徒さんも同意した。

「正直、買う方も、手縫いかミシンかというのは気にしていないですね」

確かに、と思いつつも、どこか引っかかる。

たぶん、普通に考えれば、「そうか、確かにそれならミシンでいこう」となるところだが、どうしても、うーん、としっくりこない。

しっくりこない。

しっくり…

そうか、僕は手縫いが好きなんだ。つまり、しっくりくる。

それだけで良いじゃないか。

「手縫いは時間がかかる」という言葉の奥にあるのは、「ミシンと比べて効率が悪い」「手縫いでは割に合わない」ということだろう。

僕は、効率で仕事をしているわけではない。
愛を持って向き合える手段と使い、愛のある作品を創作する。
そんな作品が届くことにこそ、意味を感じる。

もはや、創作意欲が湧き続けることが最高の効率ではないか?とすら思う。
僕にとって、手縫いは効率がいい。ということだ。

愛を持って向き合えない手段から、愛のある作品は生まれない。
そこには、共感も何もない。

効率を大切にする人もいる。
利益率を大切にする人もいる。
規模の拡大を大切にする人もいる。
量産を大切にする人もいれば、とにかく一つ一つの質を大切にする人もいる。

人が大切にしていることは、様々であり、不可侵な領域だ。

人が大切にしていることと、僕が大切にすることは違う。

僕は、愛を持って接したいと思える手段を大切にする。
それが、今のところ、手縫いだった。
というだけのこと。

そんなことを考えながら、僕は今日もステッチに向き合いたいと思う。